マルコによる福音書第6章1節から6節
今回は7月4日(日)、聖霊降臨後第6主日の福音書からお話をします。聖書では「ナザレで受け入れられない」という小見出しの個所です。
イエス様はガリラヤ周辺の町や村で教えておられました。あるとき、故郷にお帰りになりました。安息日になったので、イエス様は会堂で教え始められました。多くの人々はそれを聞いて驚きました。「この人は、このようなことをどこから得られたのだろう。この人の授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。」と。
わたしたちは、いろいろな情報を得て、物事を理解していきます。正しい情報が多いほど正確に物事をとらえることができます。けれども、正しい情報も正しい判断に基づかなければ、間違った結論になります。
今回のイエス様の言葉を聞いた人々の反応は驚きでした。自分たちの知っていたイエス様とかけ離れた教えに驚きました。そのため、イエス様の教えを受け入れることができませんでした。
わたしたちは、固定観念を持ちます。そうだと思い込み他の意見を受け入れなくなることがあります。
昔、地球が回るのではなく、周りの世界が回っていると思っていました。何百年もそうだと信じられていました。天動説と地動説という考え方です。天動説が正しいと思われていた当時ガリレオは、自分の意見を大切にしました。そして、後の世、地が動くという理解を得ることができました。
人々の思い込みは、信じることを困難にさせる場合があります。イエス様はそのために、故郷ではあまり宣教の働きを行うことができませんでした。
わたしたちは、ここから何を学ぶのでしょうか。わたしたちは神様の御心に対する鳩のような素直さを持つように教えられているように思います。神様の御心はいろいろな人を通して、いろいろな場面を通して与えられると思います。わたしたちが思い込みから自由になるとき、また、大きな受け入れる心を持つとき、神様の御心を素直に受け入れることができると思います。