「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」
ヨハネによる福音書第10章27節
今回は、ヨハネによる福音書第10章22節から30節のところからです。
小見出しは「「ユダヤ人、イエスを拒絶する」です。
エルサレム神殿で神殿奉献記念祭が行われた時のことでした。神殿の境内でイエス様が歩いておられた時、ユダヤ人たちがイエス様を取り囲んで言いました。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
イエス様は答えられました。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」
ユダヤ人たちが期待していたメシアとは、かつてのユダ・マカバイ(シリアのアンチオコス王が汚した神殿を奪い返してこれを浄め、新たに奉献した英雄)のような軍事的な指導者でした。イエス様は力によるイスラエルの解放ではなく、神様のみ心に適ったみ業を行うことが自分の使命であると思われていました。
ユダヤ人たちに対して、イエス様は「あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである」と言われました。イエス様を信じていないユダヤの人たちのことを、イエス様はわたしの声を知らない羊であると言われます。
羊飼いと羊は強い信頼関係で結ばれています。羊は自分の導き手である羊飼いの声を聞き分けなければ命を失うのです。そのような信頼関係がユダヤ人たちとはないと言われます。もしそのような関係があればイエス様の言うことに聞き従うことができると言われるのです。
わたしたちは神様の思いより自分の思いを優先してしまうことがあります。その時、神様の声を聞くことができず、道に迷ってしまいます。目の前の一時的な幸せに流されてしまうのです。
わたしたちは知っています。神様はわたしたちをいつもみ守り、わたしたちを待っておられることを。いつも神様の声を聞くことができる耳を持ちたいものです。