7月 牧師のメッセージ 

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

               ルカによる福音書第9章23節

聖書日課C年の特定7の福音書箇所から。

今回の福音書の小見出しは「ペトロ、信仰を言い表す」と「イエス、死と復活を予告する」の二つです。

福音書の最初に、イエス様が一人で祈られていたと記されています。イエス様は祈りを大切にされていました。特に大切なことをなされる前にイエス様は祈られていました。

イエス様は祈りの後、弟子たちに二つのことを尋ねられました。「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」と、「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか。」という問いです。

イエス様が何者かという問いはとても大切な問いだと思います。わたしたちはその問いに答えることが出来るでしょうか。

まず、群衆はイエス様のことを、「洗礼者ヨハネだ」、「エリヤだ」、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言っていたと弟子たちは答えました。この答えから、イエス様がメシアの到来の前にあらわれる預言者と人々が理解していたと思われます。そして、第2の問いにはペトロが答えました。「神からのメシアです。」

ペトロのこの答えをどう理解すべきか。

メシアはもともと油注がれたものという意味で、王や大祭司などが任職する儀式において、油注がれることに由来しています。メシア観には歴史的な変遷があるようで、根本的にはダビデに神様が約束された王国の継承という見方が貫かれています。

イエス様は弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられました。そして、次のように言われました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」 

弟子たちの理解しているメシアとは異なるメシア理解をイエス様は弟子たちに示されました。

そして、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と教えられました。

イエス様は、ご自分のことを神様のみ心を行う中で受難と死を引き受けるものと言われました。そして、イエス様はわたしたちにも自分の十字架を背負うようにと言われました。

わたしたちが引き受ける十字架とは何でしょうか。神さまのみ心に従って生きていくことによる苦難だと思います。イエス様はわたしたちにそのような苦難があろうとも、神様のみ心に従う生き方を求められておられるのです。