一〇月初旬に東南アジア聖公会サバ教区で開催された東アジア聖公会協議会総会に参加しました。私は、管区の青年委員会のメンバーとしての参加でした。今大会は、カンタベリーからウェルビー大主教が来られるということで、気合いの入った協議会でありました。
CCEAは、朝の聖餐式や夕の礼拝を共にし、各国・地域の交わりを大切にするというモットーがあるようです。私の今大会での役割は、来年度に控えるCCEAの青年大会を準備することです。日本聖公会からは、各教区から一人を派遣され、正義と平和、特に宣教的課題である沖縄の米軍基地、福島の原子力発電事故における二つの課題から、「いのちの尊厳性」について共有することが一つの目標となっています。来年、マニラで行われるであろう2020CCEA青年大会の上にお祈りいただければと思います。
CCEAでは、いつも新たな出会いと学びが与えられます。特に主日礼拝を現地教会のみなさんと過ごす非常に有意義な機会が与えられます。それは、現地教会におけるさまざまな宣教的課題について学ぶ機会でもあるからです。
私が訪問した教会は、リカスクライストチャーチでした。主日には、中国語、英語、マレー語と言語別の礼拝が午前中に三回あります。礼拝出席者は、七〇〇から八〇〇名だそうです。祈祷書も聖歌集も必要なく、プロジェクターにすべてが映し出されます。そしてドラムやギターなどさまざまな楽器を駆使した賛美と福音書朗読前には、ダンスも披露されます。
そして驚いたことは、聖餐式の参入から福音書朗読までは、信徒奉事者が行うというスタイルです。説教まで司祭は会衆席で礼拝をささげ、祭壇にも上がらないことに驚きました。あとで質問してみると、信徒奉事者の訓練に力を入れているということで、ある程度の神学教育と信徒奉事者のライセンスを取得するコースがあるとのことです。
つまり、もちろん牧師としての働き手も多いわけですが、それをはるかに超える形で信徒奉事者の働き手が多いということです。おそらくこの日の英語礼拝だけでも五、六人の信徒奉事者が祭壇に上がり、司式、福音書朗読、陪餐奉仕の役割を担っていました。もちろん、英語礼拝は三〇〇人が集まるわけですから、司祭一人ではまかないきれないわけです。
このリカスクライストチャーチに出席しているサバ教区の退職主教さんとお話しする機会がありました。その中で「どのようにしてこのように信徒の職務を展開することができたのか」とお尋ねしました。そうすると「牧会者の勤めは、実務ばかりをすることではない」と。「教え、導くことに集中していくこと」の重要性を語られました。
つまりは、信徒も聖職も同じように働き人として派遣されている。その中で主教職、司祭職、執事職、そして何より信徒の働きを能動的に検討するようにしてきたということでした。それによってかつては二桁だった礼拝出席者数は、いまでは八〇〇を数えるようになったというお答えでした。
もちろん、マレーシアの状況は、日本とは異なります。ムスリムとの葛藤の中で時にキリスト教も根本主義的にならざるを得ない事情もあるようです。しかし、退職主教さんからおうかがいした地道な信徒奉事職に対する歩みは、現在の日本聖公会においても新たな方向性が示される中で展開される必要性があるのだろうと感じる瞬間でありました。
執事 松山健作