「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
マタイによる福音書第5章20節
マタイによる福音書の第5章の「律法について」というところから見ていきます。イエス様は人々に言われました。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
わたしたちのまわりにはたくさんのルールがあります。わたしたちが生きていく上で、当然ルールを守ることが求められます。
イエス様の時代もルールがありました。律法と呼ばれていました。当時、この律法を厳格に実行していた人たちがいました。それが、律法学者やファリサイ派の人たちでした。彼らの行いは、律法にかなうものでした。ゆえに人々から尊敬を受けていました。
けれども、イエス様は彼らの行いを十分ではないと言われました。むしろ、人々に彼らの行い以上の義を求められました。
5章21節からのところには次のように記されています。
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」
表面的な義ではなく、心の中の思いをも大切にしなさいと言われているのです。これはとても大切なことです。わたしたちの心の中は自分と神様だけにしかわからないからです。相手への信頼関係、相手を大切にする思いが行いの中にあるかどうかを問われています。
事務的に、機械的にルールに従い行動することも時にはあるかもしれませんが、他の人を大切に思う心からの行いを大切にするようにイエス様が教えておられるように思います。
わたしたちは一人では生きられません。お互いが他の人を大切に思う心で行動することが求められているのです。わたしたちは他の人を必要とし、支え合わねば生きていけないのです。ルールを守ることに終始するのではなく、ルールが何のためにあるのか、相手のことを思い行動することをわたしたちも心がけたいと思います。