家族とは

聖霊降臨後の節に入りました。祭色は緑となります。6月はどのような月になるのでしょうか。

今回は、福音書から少し考えたいと思います。6月6日の福音書は、二つの小見出しの個所が取り上げられています。「ベルゼブル論争」と、「イエスの母、兄弟」という小見出しです。ベルゼブルとは、悪魔のかしらの名で、サタンと同じ意味にも用いられています。内容としては、人々がイエス様のことを「ベルゼブルに取りつかれている」と言っていると聞き、イエス様の母と兄弟が取り押さえに来ました。そのような身内に対して、イエス様は「わたしの母、わたしの兄弟姉妹とはだれか」と問われました。そして、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言われました。

いろいろな見方ができますが、一つに、イエス様のことを一番理解しているはずの母や兄弟が、イエス様のことを理解していませんでした。とても残念な姿です。わたしたちは、人に自分を理解してほしいと願っています。そして、誰よりも身近にいて守ってくれる存在の家族に、信頼されたいと願っています。

自分を支える家族との信頼関係がとても大切です。ここでは、その家族とは何かを問われます。血による家族。血のつながりと、信頼関係がイコールではないことを示しています。もっと深いもの、もっと深い信頼関係があるというのです。イエス様は言われます。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコによる福音書第3章35節)

神様の御心を行う人が、より深い信頼関係で結ばれているというのです。

家族が持つ信頼関係も大切です。けれども、神様の御心を行う者同士の信頼関係もそれ以上に大切なのです。

このことは、家族の絆を大切にする生き方をもっと大きな視点でとらえ直しています。ただ血のつながりで得られる家族やその信頼関係ではなく、互いが神様の御心に適う生き方をしているもの同士の関係がより神様の前でふさわしい信頼関係であるということです。ここに本当の絆があるように思います。自分のために生きる者、また、自分たちのために生きる者、その狭い信頼関係を超えて、御心を行う者同士の関係を大切にするようにとイエス様は教えられているのです。