「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
マタイによる福音書第2章2節
あけましておめでとうございます。
2021年はいろいろな人にお世話になりました。2022年を迎えることができました。本年もよろしくお願いいたします。
今回は、クリスマスシーズンの最後というべき、顕現日に読まれる福音書からお話をさせて頂きます。そもそも、顕現日は1月6日です。エピファニーとも言われます。神の子、救い主がこの世界にあらわれたことを記念します。東方の占星術の学者たちがベツレヘムでお生まれになった救い主を訪問し、ひれ伏し拝みました。異邦人にも救い主の誕生が知らされました。このことを覚える日なのです。
学者たちの救い主に会おうという熱意はものすごいものです。異国への旅は、今ほど容易ではありません。東方から、救い主を拝みに命を懸けて旅をしたのではないかと思います。長い旅であったと想像します。ユダヤの王というだけではなく、すべての人の救い主をこの目で見たいと思ったのです。それも、星の輝きがきっかけでした。いろいろな資料を調べてその結論にたどり着いたと思います。
占星術の学者たちは、旅を続けやっとユダヤのエルサレムに着きました。そこで、ヘロデ王に尋ねました。「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」
ユダヤで起こっていることですから、当然知っておられると思ったのかもしれません。けれども、王様は不安をいだきました。王様は祭司長や律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれるかと問いただしました。彼らは、預言書を調べ、救い主がベツレヘムで生まれることを報告しました。
占星術の学者たちは、王様の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所にとまりました。彼らは家に入り、幼子に会うことができました。そして、彼らはひれ伏して救い主を拝み、贈り物をささげました。彼らの救い主に会いたいという思いは本物でした。彼らの喜びはとても大きかったと思います。そして、直にまみえる栄誉を得ました。一方、王様や律法学者たちは近くにいながら救い主を受け止めることができませんでした。救い主を救い主として認めなければ、その喜びはありません。敵意か無関心でしかありません。この世界に示されたこの出来事をどう受け止めるのかはわたしたちにゆだねられています。わたしたちは、すべての人の救い主が与えられたことを喜び、神様に感謝するものでありたいと思います。