「『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」 ルカによる福音書第4章21節
今回は顕現後第3主日に読まれた福音書から見ていきます。今回は特に「ナザレで受け入れられない」という小見出しのところから見ていきます。
イエス様は荒れ野で悪魔からの誘惑を受けられた後、霊の力に満ちてガリラヤに帰られました。イエス様はその後、諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられました。そんなある時、イエス様はナザレの会堂で、礼拝に参加されました。イエス様は礼拝の中で聖書を朗読し、その後、聖書について人々に語られました。
イエス様はイザヤ書の巻物を読まれました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
読まれた聖書の内容は「貧しいものへの福音」でした。イスラエルの人たちが苦難の中にあった時、預言者イザヤが語った言葉です。神様は人々の嘆きを聞かれ、貧しい人に福音を告げ知らせるために、油注がれたもの(救い主)を遣わされると言われます。そして、捕らわれ人を解放し、目が見えない人の目をみえるようにし、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるというのです。イエス様は聖書を読まれた後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められました。
この神様の約束が、イエス様によって成就したというのです。とても意味深い言葉です。イザヤ書に出てくる、わたしという人物が、イエス様ご自身ことを指していると言われているのです。
イエス様が語られた主の恵みの年という言葉には特別な意味があります。主の恵みの年とは、ヨベルの年とも言われます。7年に一度の安息の年を7回重ねて第50年目に守られた解放の年のことです。レビ記25章に記されています。この年が来ると、すべての奴隷は解放され、売られた土地の権利は元の所有者に返されるというものです。実際はどうであったかはよくわかりませんが、イスラエルの中ではとても大切な年として見られていたようです。ヨベルとはお羊の角のことで、これで作ったラッパを吹き鳴らして、喜びの年の到来を告げ知らせることからヨベルの年と呼ばれました。ヨベルの年は、50年に一度、神様が与えた元の姿に戻され、すべての人に神様のいのちに生きる生活が取り戻される時ということができます。
神様が望まれる元の姿がどのような姿かはよくわかりませんが、わたしたちは神様の望まれた本来の姿に近づくことが求められています。そして、イエス様は今日実現したと言われました。聖書が示す言葉は、真実であり、イエス様を通してその理想の実現が間違いなく始まっていると言われています。
神様が望まれた世界はまだ完成の時を迎えていません。わたしたちは、主の恵みの年、その時をみ心に適った生き方を通して待ちたいと思います。