「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」 ルカによる福音書第9章29節
今年は3月2日(水)から大斎節が始まりました。大斎節は教会にとってとても大切な期節です。イースターを迎える準備の期節です。イースター(復活日)の喜びは大斎節の過ごし方で大きく変わるのではないかと思います。
今回の聖書は大斎節前主日に読まれた福音書を取り上げます。聖書の小見出しは「イエスの姿が変わる」です。
今回の福音書はわたしたちに何を伝えようとしているのでしょうか。イエス様の輝きでしょうか。モーセとエリヤとイエス様との語り合いの奇跡でしょうか。
イエス様は3人の弟子だけを連れて、祈るために山に登られました。そこでイエス様の様子が変わりました。顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きました。そして、栄光に包まれて旧約時代の人物であるモーセとエリヤとが現われ、イエス様と語り合っていました。イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期について話されていました。
ペトロと仲間はひどく眠たかったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエス様とそばに立っている二人の人が見えました。ペトロが仮小屋を3つ建てましょうと提案したとき、雲が現われ彼らを覆いました。
雲の中から「これはわたしの子、選ばれたもの。これに聞け」という声が聞こえました。その声がしたとき、そこにはイエス様だけがおられました。
モーセはエジプトでイスラエルの人たちを奴隷から解放するために働き、彼らを約束の地に導き出しました。預言者エリヤは、メシアの到来前に再び人々の前に戻ってくることを期待された人です。イエス様と話されていたことは、イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期についてでした。
イエス様がこれから行われることが神様のみ心であり、すべてのことが神様の栄光を現すことになるというのです。
それは、喜ばしいことだけでなく、エルサレムで遂げられる苦難と死が含まれています。わたしたちはイエス様の姿が輝いたという栄光のよき面をとらえがちですが、その進むべき道にある苦難と死という面をも含めて受け取らなければならないのです。
見方を変えると、わたしたちの最終目的地には、栄光があるということです。それまでの歩む道においてどのような苦難があろうとも、神様はわたしたちをみ守り、最後には喜びに満たしてくださるということです。
イエス様の歩みをわたしたちは改めて思いこの時を過ごしたいものです。