「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのかを知らないのです。」
ルカによる福音書第23章34節
今年のイースターは4月17日(日)です。そして、その前の週が聖週です。イエス様の受難と死を特に覚える週です。
人は苦しみを避けようとします。楽な道を進もうとします。できるだけ安全なところでいようとします。けれども、現実はそううまくいきません。苦しみも引き受けなければならないときがあります。
上記に示された聖書の言葉は、イエス様が十字架上で語られたみ言葉です。イエス様の働きは人々に神様の愛を伝えるものでした。その生涯をかけて神様の愛を示されました。そして、自ら受難と死を引き受けられました。
聖書にはイエス様の苦難と死の出来事が示されています。イエス様はなぜ死ななければならなかったのか。この問いにわたしたちはどう答えることができるでしょうか。
人々の罪がイエス様を死に追いやりました。人々の罪とはどのようなものだったのでしょうか。
まずは、ユダヤの指導者たちの敵意です。ユダヤの指導者たちとは、祭司長たちや律法学者たち、ファリサイ派の人たちです。彼らはイエス様の行うことが自分たちの立場を危うくするものと映りました。大勢の人々がイエス様の教えに聞き従うことに、恐れを持ちました。そこで、イエス様を殺そうと考えました。
次に、人々の心変わりです。イエス様の教えに影響を受けた人々でしたが、ユダヤの指導者たちにそそのかされて、「十字架につけよ」と叫ぶ者に変わりました。権力を持つ者に容易に従ってしまうのです。また、集団としての悪の力は簡単に止めることはできません。
そして、ピラトに見る保身です。ピラトはイエス様への訴えに対して罪を見いだせないでいました。けれども、ユダヤ人たちが大声で要求し続けました。騒動が起こり、自分の立場が窮地に陥ることを恐れました。そのため、イエス様を死刑にすることを認めました。
それぞれの立場があるにしても、人々は自分たちの都合で、自分たちのために、イエス様を十字架につけました。それだけではありません。イエス様はわたしたちの罪のためにも十字架につけられました。
イエス様は十字架上で言われました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
イエス様は最後までわたしたちのために神様にとりなしてくださいました。わたしたちはイエス様のこの愛にどう応えるのでしょうか。