9月 牧師のメッセージ

 

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」

               ルカによる福音書第12章49節

今回のみ言葉はルカによる福音書第12章49節から56節のまとまりのところからです。(聖書日課C年の特定15)福音書の小見出しは「分裂をもたらす」です。

イエス様は「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」と言われました。この火は清めの火です。この世界に真の平和をもたらすためにもたらす火です。その火をもたらすためには大きな困難が伴います。イエス様は神様からその使命を託されました。

旧約聖書のエレミヤ書に神様からの使命を託された預言者エレミヤのことが示されています。外国からの脅威に対して、エレミヤはユダヤの民に神様からの預言の言葉を伝えました。

その内容は、人々には受け入れがたいものでした。それは、その当時のユダ王国に脅威を与えたバビロン軍に抵抗することは無駄だと主張したからでした。エレミヤは、今は自国の敗北を受け入れ、神様に立ち返ることが、再生への道であると伝えました。この預言は多くの同胞に受け入れられず、エレミヤ自身迫害を受けることとなりました。これは、神様から託された預言を正しく伝えることが如何に難しいことかを示しています。

イエス様は神様からの使命を果たすために働かれました。それは真の平和をこの世界にもたらせるためでした。この世界に神様の支配をもたらすために、イエス様は火を投ずるものとなられました。人々の自己中心的な思いや、他の人を大切にしない愛の欠如、ゆがめられたこの世界に、神の愛と正義をもたらすために働かれました。そして、イエス様は十字架を引き受けられました。イエス様はわたしたちを愛するゆえに、その苦しみを引き受けられたのです。見せかけの平和のもとでは、多くの人が抑圧され、弱きものが苦しめられます。イエス様は愛の火をもたらすことによって、真の平和がこの地上にもたらされ、多くの人が清められることを望まれました。

わたしたちにもその働きを求められています。わたしたちも見せかけではない真の平和をこの世界にもたらすために働きたいと思います。