10月 牧師のメッセージ 

「お前は生きている間によいものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」

               ルカによる福音書第16章25節

今回のみ言葉はルカによる福音書第16章19節から31節のまとまりのところからです。(聖書日課C年の特定21)福音書の小見出しは「金持ちとラザロ」です。

ある金持ちがいました。いつもよい服を着て、毎日ぜいたくに暮らしていました。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていました。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれました。金持ちも死んで葬られました。

話しは二人の死後の世界に移ります。金持ちはよみでさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えました。金持ちは大声で叫び「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。」しかし、アブラハムは言った。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間によいものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えてくることもできない。」

このたとえ話では、金持ちとラザロの立場は、生きていた時と死後とではまったく逆転します。ラザロはアブラハムのそばで宴会を楽しむ一方、金持ちはよみでさいなまれます。

この金持ちの何がいけなかったのでしょうか。何か悪事を働いたのでしょうか。それは、ラザロへの無関心でした。いつも金持ちの門前で横たわり、食卓から落ちる物で飢えを満たしたいと思っていたラザロに全く無関心でした。金持ちは他の人のことに関わることをせず、自分の心地よい世界にしか興味がありませんでした。自分のまわりを見ず、他の人の悲しみや痛みに関心を示さないことがよくないことでした。

この金持ちのような生き方をしている人はこの世界にもいます。また、わたしたちのまわりには多くの弱い立場の人がいます。わたしたちは無関心ではなく、関心をもちたいと思います。また、わたしたちに何ができるかを考えていきたいと思います。